奈良・京都旅行に行って来たのですが、京都では「建仁寺 両足院」に行って来ました。
最近は座禅や写経、ヨガなど気軽に参加できるお寺が増えているように思います。中には婚活を開催しているお寺もあったり、カフェを併設しているお寺も。特別な時だけではなく、いつでも気軽に寄れる場所としてお寺の在り方が変わってきているように思います。
ということで、今回は「建仁寺 両足院」で座禅体験をしてきましたよ。
まずは、建仁寺 両足院についてちょっと説明を。
建仁寺は、臨済宗の開祖栄西によって1202年に創建されました。栄西の入寂後、その墓所を栄西直系の弟子達によって守党された寺院を知足院といいます。これが、両足院の前進です。(臨済宗大本山建仁寺塔頭 両足院パンフレットより)
鴨川の東にあり、近くには八坂神社もあります。広い敷地にお堂などの建物があって、お庭も素敵なところです。
さて、座禅会は朝8:30からで私が到着した時にはすでに20人くらいいました。若い人が多くて男女比は少し女性の方が多かったかな。
用意されていた座布団の席について、お坊さんが分かりやすく説明してくれます。説明があって、5分座禅して、また説明があって、5分座る。そしてお話の後に最後は15分座る、という内容でした。トータルで60分くらいです。
お話もとても分かりやすく、なるほど!と思ったものがあるので紹介しますね。
まず、五感を通じて、自分が自然の一部であることを意識します。
五感の感じ方の順番は、匂い(嗅覚) → 音(聴覚) → 味(味覚) → 触る(触覚) → 見る(視覚)がよいと。
やはり、視覚からの情報は多くて左右されやすいので一番最後に意識して、目を半分に開く「半眼」がよいそうです。
仏さまや大仏さまの目の開き具合ですね。半分開いて、半分閉じて、見ているようで見ていない感じ。
例えるなら、浜辺に座ってぼーっと海を眺めるイメージです。波のひとつひとつを凝視するでもなく、空だけを見るでもなく、海だけ、浜辺だけを見るのではなく、その景色全体を見る感じ。
そうして五感を感じていると、自分と外を隔てている膜が取り払われて自然と一体化する感覚になっていきます。
(私が思い出したのは、手塚治虫の「ブッダ」の描写で、個が空気に溶けていくイメージ)
そうしていくと、「セレブレーション」という状態に至ります。
※なぜ英語かと言うと、両足院では英語での座禅も開催していて英語で説明する機会も多くて、最近はこの「セレブレーション」という言葉と響がぴったりだから、ということでした。日本語だと身近すぎて適切な言葉が見つからなかったそう。でも、日本語で言うならば「礼賛」がいいかな、とおっしゃていました。
そう、五感を持った体ひとつがセレブレーションで、オーケストラのようにそれぞれが響き合っている。そんな自分を感じる体験が座禅なんじゃないかな、と思いました。
ちなみに、両足院のウェブサイトでは座禅についてこんな説明がありました。
皆さんは、坐禅にどういったイメージをお持ちでしょうか。おそらく”無になる”というフレーズが浮かんでくる方が多いと思います。このフレーズが影響して、なんとか頭の中を空っぽにしようと努力したり、気持ちが動かないように工夫したり。本来は、そのような”ねらい”や”計らいごと”を持たないで坐ることです。
坐禅のエッセンスは、「ゆるめる、ほどく、手放す」という言葉がふさわしいです。「頑張る、打ち勝つ、乗り越える」ではないのです。座り方で「ゆるめる」コツを、脱力する事で「ほどく」方法を、呼吸に意識を委ねることで「手放す」自由をお伝えします。
なかなか力みから解放されず、呼吸に意識を向けることに苦労される方は、坐禅とヨガ体験をお勧めします。ヨガをしてから坐禅に入ることによって、自然体で自分の身体と呼吸に親しみ、楽に取り組めるはずです。
ぜひ、坐禅を体験して忙しい日常からの解放を感じてください。
なるほど「解放」ですね。
日常生活でもなるべく自分と向き合って、静かな時間を取るようにしていますが、やはり静かで自然豊かな場所で、時間を設けてこのような体験をすることもいいな、と思います。
両足院での体験はこんな感じでした。私は雑食なので興味の赴くままに色々な神社仏閣に行って、色々な体験をするようにしていますが、それらの体験をブレンドして、自分に合うオリジナルの方法を開発していくこともまた楽しいな、と思います。
<臨済宗大本山建仁寺塔頭 両足院> 両足院ウェブサイト |
こんな感じで素敵な場所でした。
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