今日は、1991年に発売された「ソフィーの世界」を読んで、ある思いが湧いてきたのでそのことについてです。
この本は、少年少女に哲学への手ほどきとして読んでもらうよう構想された作品で、ノルウェーの高校の哲学教師ヨースタイン・ゴルデルによって出版されたファンタジー小説です。
発売当時、私はまだ子どもだったのですが母が買ってきたので読んでみました。
文章は優しく読みやすかったけれど、内容が難しくて理解できずに「なんだかよく分からない本」として記憶されていました。
先日、友人との会話にこの本の話が出たので久しぶりにもう一度読んでみようと思い、数十年ぶりに手にとってみたことがきっかけです。
どんな感想が浮かんでくるのかな?と自分のことながら少し興味深かったのですが、最初に読んだ頃から人生経験も多少経たこと、そして哲学が好きということもあってか、物語に一気に引き込まれてしまいました。
不思議な物語もそうなのですが、私が興味を持ったことは、古代から現代までの哲学者や思想家、宗教家や芸術家などの、「世界はどこから来た?」「私は一体何者?」といった普遍的なテーマに対しての姿勢についてでした。
時代は移り変わっても同じことをずっと考えてきたその人類のあり方がとても面白いな、と思ったのです。
そんなことを考えていたら、これらの問いに対峙している人々のあり方が宇宙の表現なんじゃないかな?と思いました。
(難しくなってきましたね 笑)
「こうなんじゃないか」「ああなんじゃないか」そんな風にして、ずっとずーっと答えの出ない疑問について考えてきたなんて、無意味かもしれないけれど、でも知りたくなってしまう命の根源。終わりがなく、正解がないからこそ魅了されてしまうその不思議さ。
それでも懲りずに(?)疑問を投げかけて対峙し続けることが、もしかしたら生きるということ。
そして、答えを見つけることがゴールではなくて、向き合うその姿勢がゴールなのかもしれない、そんなことを思ったのです。
しばらく考えていたら、まとまった文章ができてしまい、友人に見てもらったところ好評だったので、ご紹介します!
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「宇宙のロマン」
「なぜ生きる?」「わたしとは何か?」
古代から人類がずっと向き合ってきた、この問いに対する姿勢
それ自体が宇宙の現れなのです
それぞれの時代に登場した文化や思想は
命を宿している宇宙のしるし
生きて 死んで 生きて 死んで を
色んな場所、色んな姿形でくり返しながら
何度もこんな遊びをしてきたのでしょう
時代時代の賢者たちが、真剣に向き合ってきたその在り方は
私たちにも同じように息づいていて
壮大な宇宙の流れの中
今日も最先端で、共に宇宙を創造しているのです
わたしがいのち
わたしが宇宙そのもの
吸って吐いてを繰り返し
毎瞬を味わって 感じてみて
どこかに辿りつかなくてもいいのです
その旅すがらが楽しいの
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…いかがでしょうか?
言葉にするのはとても難しいですが、思い浮かんだイメージを言語化してまとめることはとても楽しいですね。
そして、今回はグラフィックデザイナーらしく(!)カードを作って、販売も始めてみました!(完全に勢いです 笑)
もしよかったら下記サイトからご覧ください。
https://youseeaiseeb.theshop.jp/
そして、数十年ぶりに読んでみたい!と思う方はこちらも是非。きっとあの頃とは違う感想が浮かんでくると思いますよ。読むタイミングによって感想が違うのもまた、本の面白さですよね。
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