「海の歌」シリーズ最後の今日は、『浜辺の歌』です。
『浜辺の歌』は、作詩:林古渓、作曲:成田為三による日本の唱歌・歌曲で、1916年(大正5年)に発表されました。
『浜辺の歌』
一、
朝(あした)浜辺を 彷徨(さまよ)えば
昔の事ぞ しの(偲)ばるる
風の音よ 雲の様(さま)よ
寄する波も 貝の色も
二、
夕(ゆうべ)浜辺を 廻(もとお)れば
昔の人ぞ 偲(しの)ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
三、
疾風(はやち)忽(たちま)ち 波を吹き
赤裳(あかも)の裾(すそ)ぞ 濡れ漬(ひ)じし
病みし我は 既に癒えて
浜辺の真砂(まさご) 愛子(まなご)今は
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三番まで見ていかがでしょうか?何か気づくことはありますか?
一番は朝の浜辺の情景、二番は夕方から夜の浜辺の情景が美しい日本語で表現されていますが、三番の歌詞は趣を異にしていませんか?急に難しい言葉になり、何だか悲しげな印象がします。
どうやら、本当は四番まであった詩が作者に断りなく、三番の前半と四番の後半が組み合わされて三番として発表されてしまったとか。そんなこともあってか、二番までの歌詞が広く知られており、三番、そして幻の四番の存在はあまり知られていないのかもしれません。
この三番にはいくつかの説があります。
ひとつは、作曲者の成田為三さんが音楽学校時代の後輩、倉辻正子さんにラブレターとして譜面を送った曲だそうで、三番の歌詞に登場する、「赤裳(あかも)の裾(すそ)」は女性の赤い着物を、「愛子(まなご)今は」から、愛しいあの人は今はどうしている?と読みます。ちなみに、倉辻さんにはすでに婚約者がいて、成田さんの恋は実らなかったそうです。
ふたつめは、「愛子(まなご)」は作詞者の林古渓さんの姪のことで、結核にかかっていて療養中だったとのことで、彼女のことを思っている、といういうもの。
みっつめは、失われた部分には古渓の恋人が湘南海岸で結核の転地療養をして元気になった様子が書かれていて、古渓さんの本当の気持ちが織り込まれていたと思われる、との説。
本当の歌詞が分からない分、想像の翼が広がりますね。
そして、作曲者成田為三さんの出身地、秋田県米内沢市には「浜辺の歌音楽館」があります。
大正ロマン風の建物(暮らしの音楽「作曲家・成田為三」ウェブサイトより)
先日、「ブナの学校」の記事で白神山地と秋田について調べていたので、これはまた嬉しい偶然。これは秋田に行きなさい、ってことですかね 🙂
そしてそして、この「浜辺の歌」がの楽譜の装丁を手がけたのが何と、竹久夢二。夢二についても先日ブログで記事にしたばかりだったので、この偶然がとても嬉しい!
夢二についての記事。
「夢二の夢はどんな夢?」
「浴衣は無造作に着るもの」
夢二が装丁を手がけた「浜辺の歌」の楽譜(暮らしの音楽「作曲家・成田為三」ウェブサイトより)
夢二の装丁には大人の女性が描かれているので、やはり三番(四番)の歌詞は恋しいあの人を思って書かれたのかもしれませんね。
今回で「海の歌」シリーズは終わりですが、今ではあまり使われなくなった日本語を知ることができ、新たな発見もあり、調べていくうちに興味が広がるし、また偶然つながることもある作業はとても楽しいです。そして、色々な視点で音楽や詩を自分なりに詠むのもまたおもしろきことなり。
高峰秀子主演の映画「二十四の瞳」のシーンで歌われている「浜辺の歌」
こちらは李香蘭
弦楽器での演奏もいいですね
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