前回の「夢二の夢はどんな夢?」の続きです。
7/1まで東京ステーションギャラリーで開催されている『千代田区×東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」』に関連し、竹久夢二の詩やエッセイをまとめた本「竹久夢二詩画集」の中から、印象的だった内容を紹介しています。
前回は詩についてでしたが、今日はエッセイの中から「浴衣は無造作に着るべきもの」を取り上げます。
夢二の画には多くの女性が登場しますが、ほとんどが着物や浴衣を着ています。有機的な線に表現されるように、着物のしなやかさと、そこから想像される女性の曲線美がとても印象的で見とれてしまうのですが、夢二には着こなしについてのこだわりがあったようです。
浴衣は無造作に着るべきもの浴衣は几帳面に着るものではなく、素肌へじかに着て垢(あか)づかぬ中たびたび洗濯するところに浴衣の味があり、洗えば洗うほど色も面白く出るのですが、現今は浴衣を浴衣らしく着る人が少なくなりました。無闇に上等品を真似て作る事が流行し、メリンスやセルにお召風の柄を取入れて、それ自身の特徴を隠しているのと同じに、浴衣にも木綿絽(もめんろ)などが巾(はば)を利かしています。ああいうものは水に通し難いので、着る方でも大切にしなければならぬでしょう。このごろの人達は麗々(れいれい)しく長襦袢(ながじゅばん)などを着込んで、足袋(たび)を穿(は)きあの木綿絽の浴衣を着ているようですが、何だかもの欲しそうに見えます。
(中略)
浴衣姿のよいのは成熟し切ったいわゆる女盛りの年頃です。これは普通の着物のようにキチンと堅苦しく着ないので、熊の出来る自分でなければ、充分に恰好(かっこう)よくきこなせないからでしょう。一体に今の娘さん達は、洋服の方を着慣れていますから、たまに和服を着ると、アメリカ娘がジャパニーズキモノを着たような恰好に、帯をやたらに上の方へしめ、腰から下はスカートの感じがするほどぶっきらぼうです。
(中略)
ことに浴衣などは、洗練された容姿に無雑作な着方をしたのが水ぎわ立って美しいものだと思います。
(『サンデー毎日』4-30、大正十四年七月五日)
私は着付けを習っているのですが、先生達の多くは浴衣は着ないとおっしゃいます。なぜなら浴衣は本来はパジャマなので、それを外には着ていくことはなくて、夏には夏の着物を着るという先生が多いです。私も着付けを習うまではよく知らなかったお着物事情ですが、先生のお話然り、夢二のエッセイ然り、なるほどなー、と思います。
どうやら浴衣は夏のお出かけ用の特別なものではないし、キチンと着るものでもなくて、キチンと着ている方が恰好悪くて、浴衣を着るならば無雑作に着た方が逆に美しいのだと。なるほど、勉強になります。確かに、ゆったりと浴衣を着て、縁側で団扇を仰ぎながらぼんやりとそとを眺めている女性なんかを想像すると、夏の情緒が強調されて風情を感じます。
日本女性の美しさを知り尽くし、またそれを引き出す術を熟知していた夢二。その観察眼に驚くと同時に、夢二の画の世界がつくられる過程や背景にある考え方を知る事ができるのもまた楽しいです。そして、日本文化について、女性の美しさについても勉強になることもたくさんある素敵な本です。
千代田区×東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」 |
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