突然ですが、鎌倉幕府の成立年って1192年でしたっけ?
そうでしょ!と思った方は年代が分かりますね 笑。最近は1185年に成立されたという説が有力ということを聞きました。学校の教科書でも1185年と記載されているとのこと。
ですが、1185年というのもどうやら怪しいようで、他にも、1180年・1183年・1184年・1190年の諸説があるそうです。何を持って「鎌倉幕府」と呼ぶのか。その解釈によって年号が違うんだと。
源頼朝は1185年、諸国に守護・地頭を設置する権限を後白河に認めさせたので、実質的にはこの時から「鎌倉幕府」の体制ができていたことから1185年としたんだそうです。ちなみに、1192年は、頼朝が征夷大将軍に任命された年です。
なんと!解釈、定義の仕方で7年も伸びた!
まぁ、この「時代」の制定も近年の人たちだけでの共通認識でしかないですけどね。歴史学者という人たちの見解であって、その職業がない時代は「歴史」なんて概念すらなかったかもしれない。考古学に至っては、当時に生きていた人からすると「考古(過去の文化を研究すること)じゃないし。今だし!」と言うでしょうね。
そういえば、近代から見る「その時代」に名前をつけただけという話で、「はい、昨日までは奈良時代でした。明日から平安時代ですよー!」と明確に区切られるものでもなくて、ゆるりとした大きな流れの中の移ろいのことだよねと、友人が話していたことも思い出しました。確かに!面白いですねー。
歴史や時代の話になると、定義、解釈、想像、予測に寄るところも多いので、年号制定をする意味があるのやらないのやら。少なくともテストで出すような問題ではないと思ってしまいます。だって、もしかしたら鎌倉幕府の成立年を「1185年」と、数十年前に書いた人がいたとして、その回答で志望校に落ちてしまったとしたら、その人の人生は確実に変わっているはずで…。歴史の問題によりその人の歴史が変わってしまうという何とも皮肉な。
でもまぁ、こういう面白さもまた考古学や歴史学の醍醐味なので、私は嫌いではないです 🙂
そしてやはりこの手の話をすると思い出すのが、ヒロトさま。
<情熱の薔薇>より抜粋
見てきたものや きいたこと
今まで覚えた全部
デタラメだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥のほう
心のずっと奥のほう
涙はそこからやってくる
心のずっと奥のほうー 作詞作曲:甲本ヒロト
「本物って?」の記事も合わせてご覧ください。
歴史と言えばついでに、「ロシアのコズミズム論(宇宙主義)」について紹介したくなったので、それは次回に!これはまたすごいですよ!!
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何だか今日はまとまりがなくなってしまいましたが、現象、特に過去のものに関しては解釈し放題なので面白いですね。
皆さんはどう思われますか?
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※1192年、1185年問題について詳しく知りたい方はこのサイトが分かりやすいです
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