おおきな木 – 2 –

今日は、意図せず長くなってしまった前回の続きです。

絵本「おおきな木」の原文を読んでの読み方についてですね。
解釈が分かれる一文、”And tree was happy…. but not really”をどうみるか。
※ちなみに、英語版だとりんごの木のことを”She”と表現しているので、男性と女性が登場人物ということが明確になります

村上春樹さんの前に翻訳をしたのが、ほんだきいちろうさん。彼の訳だと
「きは それで うれしかった・・・だけど それは ほんとかな?」

そして、村上春樹さんの訳はこちら。
「それで木はしあわせに・・・なんてなれませんよね」

春樹さんは否定していますね木は幸せではなかったと。

この時のシチュエーションはというと、男性が「船でも作ってどこかに行きたいよ」と愚痴をこぼした時の答えとして木が、「そしたら私の枝で船をつくったらいいわ」と言って、ごっそり枝を切り取り去ってしまいます。その後の一文が例のもの。与えるものが全てなくなってしまった時の一文です。

ここで私が気になったのは、これまでは客観的にその状況を説明する文章だったのが、この場面では文章が意見を持って、木の気持ちをちょっと決めつけている感じがすることです。ちょっと一方的な印象があります。だって、木に直接聞いて「私は幸せではありません」と言われたのではないから。

関係性は一方だけでは生まれず両者あってのものなので、要求ばかりする男性ではあったけれど会いに来てくれる人がいるというのは幸せなことだろうし、お願いされるというのもまた幸せなことなんだと思います。男性の存在が、木自身の存在を認識させてくれるものなので、その上でのやり取りはどっちでもよいような気もします。両方が与え、与えられている、と言いましょうか。関係性を持てるその体験自体が楽しいと言いましょうか。

そして、木だって本当に嫌だったら(字の通り)身を投げ出して彼を助けなかったんじゃないかな、と思います。彼のことが好きで助けてあげたいから、彼女(Sheなので)ができることをしてあげた。それはそれで木は嬉しかったんだと思います。

なので、読者に投げかけているスタイルで訳した、ほんださんの方が私は好きです。

あと思うことは、男性と女性の視点もありそうだと。作者のシェル・シルヴァスタインさん、ほんだきいちろうさん、村上春樹さんは男性なので、私とは違う視点を持っているのかな、とも思いました。

こんな風に、翻訳した人によって、また原文を読むことによっても解釈が大きく異なることはとても興味深いです。(ロストイントランスレーション問題もまた取り上げたいと思います)それも、シンプルで普遍的なテーマを扱い多くを語らない物語だからこそ、色々な視点が生まれるんだと思うと、こうして多くの国で長く読み続けられているのもうなずけます。

私もこれからもっと年を重ねて、またこの本を読んだ時に違う視点が生まれるだろうと思うと、今から楽しみです。

人によっても、同じ人でも年齢やその時の状況によっても読み方が変わるのは面白い体験ですねー。やめられない!

以下の写真はこの本が好きすぎてDIYしたMacBookPro

おおきな木

村上春樹さん訳の「おおきな木」

英語版も日本のアマゾンで買うことができます

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youseeaandiseeb
Written by youseeaandiseeb
東京在住のグラフィック&デジタルデザイナー。 ものづくり、文化芸術、旅、そしてたまに宇宙についてのブログです。 私の視点を通して、この豊かな世界を紹介していきたいと思います。英語でも書いてます。