熱海と言えば温泉が有名だと思いますが、最近は建築好きにも注目されています。
私も先日、MOA美術館と旧日向別邸(別名がブルーノ・タウト「熱海の家」)に行ってきたのでご紹介。
まずはブルーノ・タウトという人ですが、ドイツ生まれの建築家で表現主義にカテゴライズされ、前衛的な建築家としてベルリンで活躍。劣悪な環境に住んでいた労働者のために素敵な集合住宅を設計したりもして、都市計画家としての側面もありました。ちなみに彼が設計した集合住宅は今でも住むことができて、空きが出てもすぐに埋まってしまうほど人気物件なんだそう。
ベルリンから、ソ連に渡りますが数年でドイツに戻ってきます。折しも時代はナチが台頭していて迫害を逃れるためタウトはスイスに向かいます。その後、トルコやヨーロッパの国を経て、日本インターナショナル建築会からの招待で日本へ到着。ジャポニズム全盛期だったヨーロッパで育ったため、子供の頃から日本への憧れがあったこともあり念願達成だったのかな。
1930年、福井県敦賀市に到着した翌日に京都へ向かい、運命の出会いを果たします。タウトに大きな影響を与えることになる「桂離宮」と出会ったのです。「泣きたくなるほど美しい」と形容した桂離宮。そこには彼の理想が全てつまっていたんだそう。桂離宮についての本を書いた初の人で、世界へその素晴らしさを発信した人なのです。私も桂離宮については思うことがたくさんあるので、また別の機会に。
その後は、群馬県高崎市の達磨寺に2年間住むことになります。竹、和紙、漆器などの日本の素材を活かした工芸にも触れます。それから縁あって、熱海の日向さんからの依頼で彼の別荘に地下室を作って欲しいとのお仕事を受けることになります。いくらかかってもいいし、好きなように作ってください、との好条件。建築家としての本来の仕事があまりなかったので、とても嬉しかったんじゃないかな、と思います。
そんなタウトの思いがたくさん込められた旧日向邸ですが、今までに見たことのないようなデザインです。和と洋が素晴らしくマッチングしている空間で、とても見事だしとてもモダン。1936年竣工のものとは思えないくらい斬新です。かといって素敵すぎて居心地悪いかと言えばそうでなく、自然素材のものばかり使っているのでとても快適で暖かい(身も心も)。何より、日本建築への(桂離宮への)愛情がそこかしこに見られます。
それから、地下室をデザインしたということなのですが、高台に建てられた家の地下室なので、窓もあってそこから海が見えるので地下室という名の特別な空間、という感じ。知る人ぞ知る大人の遊び場のような。実際に、ビリヤードをしたり、ダンスをしたり、そして海を眺め、月を愛で、という役割で作られたそうです。なんとも贅沢な。。
熱海の家の完成と同じ1936年、日本を後にしたタウトはトルコへ向かい教授職を得て、建築設計で活躍して1938年に亡くなりました。
今日はタウトについてのご紹介ですが、次回は旧日向邸のお話をもっと詳しくします。
<タウトのドイツ時代の建築>
「ガラスの家」
「馬蹄型集合住宅」
<タウトが書いた本> 桂離宮、伊勢神宮、白川郷など日本美への賞賛がたくさんの本です。
<ブルーノ・タウト「熱海の家」 旧日向別邸へのアクセスと情報> 熱海市観光協会ウェブサイト |
※メイン画像は旧日向邸のフライヤーより
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