※画像はブルーノ・タウト「熱海の家」(旧日向別邸)からの景色
今日はブルーノ・タウト「熱海の家」 1 / ブルーノ・タウト「熱海の家」 2 の番外編。
前回のブログで、タウトの熱海の家(旧日向邸)を見学するときに、ボランティアのガイドさんがとても丁寧に教えてくださることも紹介したのですが、今日はそのガイドさんが教えてくれた素晴らしい学びを紹介します。
桂離宮、伊勢神宮、白川郷などに美を見出し、数寄屋造にインスパイアされ、著書を発表して世界にその素晴らしさを発信したタウトですが、日本建築のどういうところがそんなにも魅力なのか、というお話です。
ひとつめは、その<地味さ>。
桂離宮は別荘、伊勢神宮は宗教施設にも関わらず、質素でシンプル。余計なものはなく、自然素材を活かしその色合いも控えめです。片や、西洋の別荘や宗教施設は豪華絢爛で派手なもので日本のそれとは正反対。建物は日本は地味、西洋は派手なのですが、衣服はどうでしょうか?かつての日本の衣服と言えば着物です。そう、とても華やかです。上流階級の人ほど色彩はより鮮やかに、何層にも重ねて着飾り、髪型も大きく派手になります。そして西洋の衣服と言えばドレスですが、中世貴族などは以外と地味です。色合いは落ち着いていてシックなものが多いです。
日本は地味な空間に、華やかな衣服が映える文化。そして、西洋は華やかな空間だからこそ、落ち着いた衣服がマッチする文化。なるほど、両方とも上手にバランスが取れている。
前回はブルーノ・タウトについて紹介しましたが、今日は「熱海の家」(旧日向邸)についてです。
アジア貿易で活躍した日向利兵衛さんが依頼主。ちなみに、木造二階建ての母屋の設計は、東京銀座の和光、東京上野の東京国立博物館、 愛知県庁などの設計で知られる渡辺仁だと言うから、この日向さんは文化・芸術に詳しくてセンスがよい方だったんだと想像します。そして、「製作費用はいくらかかってもよいので、好きなようにつくってください」と言ってタウトに発注したとのこと。タウトを信用して全て任せ、金銭的な面でも制限がないだなんて、夢のようなプロジェクト。いいものを作るには依頼主の理解も必要だよね、なんて考えさせられもします。
この「熱海の家」は「別邸の地下室」と紹介されることも多いのですが、地下室という名の「社交場のための離れ」の方が実物を説明するのには合っている言葉だと思います。大きく分けて3つの部屋がありますし、真ん中の部屋には大きな窓があってそこから太平洋が一望できる、なんとも贅沢な「地下室」空間なのです。
熱海と言えば温泉が有名だと思いますが、最近は建築好きにも注目されています。
私も先日、MOA美術館と旧日向別邸(別名がブルーノ・タウト「熱海の家」)に行ってきたのでご紹介。
まずはブルーノ・タウトという人ですが、ドイツ生まれの建築家で表現主義にカテゴライズされ、前衛的な建築家としてベルリンで活躍。劣悪な環境に住んでいた労働者のために素敵な集合住宅を設計したりもして、都市計画家としての側面もありました。ちなみに彼が設計した集合住宅は今でも住むことができて、空きが出てもすぐに埋まってしまうほど人気物件なんだそう。
ベルリンから、ソ連に渡りますが数年でドイツに戻ってきます。折しも時代はナチが台頭していて迫害を逃れるためタウトはスイスに向かいます。その後、トルコやヨーロッパの国を経て、日本インターナショナル建築会からの招待で日本へ到着。ジャポニズム全盛期だったヨーロッパで育ったため、子供の頃から日本への憧れがあったこともあり念願達成だったのかな。
1930年、福井県敦賀市に到着した翌日に京都へ向かい、運命の出会いを果たします。タウトに大きな影響を与えることになる「桂離宮」と出会ったのです。「泣きたくなるほど美しい」と形容した桂離宮。そこには彼の理想が全てつまっていたんだそう。桂離宮についての本を書いた初の人で、世界へその素晴らしさを発信した人なのです。私も桂離宮については思うことがたくさんあるので、また別の機会に。