ハワイイ島 – 人々 –
ハワイイ島 – 朝食 –
ハワイイ島 – 気候 –
ハワイイ島 – 生き物 –
ハワイイ島 – イルカ –
シリーズっぽくなってきたハワイイ島旅行記ですが、植物、鳥、動物と続いてきたので、今日は人々についてです。
ハワイイ島 – 生き物 –のブログでも少し触れたのですが、ハワイ島が誕生してから今日までの歴史をざっとおさらいします。
約1,500年前
ポリネシア人が星の明かりだけを頼りにカヌーで無人島だったハワイ島に到着
約1,000年前
タヒチから多くの移住者がやってくる。この時に、古代ハワイにおける信仰の基礎となる神や半神半人の思想を持ち込まれる。ハワイ文化は数世紀にわたり隆盛を極め、フラという芸術、サーフィンというスポーツが生まれた。(ツアーのガイドさんによると、内争も結構あったそうですが、どちらかが滅びるまでの戦いというよりは定期的なスポーツのようだったとか)
1778年
イギリス人のジェームズ・クックがカウアイ島に上陸し、ここから西洋文明との接触が始まる
1810年
カメハメハ1世によりハワイ諸島が統一され、ハワイ王国が建国される
1820年
アメリカから宣教師が移住し、キリスト文化が定着していく
1843年
イギリスがハワイの領有を宣言
1849年
フランスがハワイの領有を宣言
1850年
中国から組織的な移民が始まる(プランテーション農場で働くため)
1868年
日本人の移民が始まる
※中国、日本以外からも、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スコットランド、プエルトリコなど様々な国から移民が来島
※日本人移民が一番多く、1902年にはサトウキビ労働者の70%が日本人移民で占められていた
1881年
カラカウア王が来日し明治天皇と会見し、明治政府との間で正式に移民協定が結ばれる。アメリカの政治的経済的侵略に危機感を抱いていた王は、カイウラニ王女と山階宮(後の東伏見宮依仁親王)との政略結婚によるハワイ王朝と、皇室との間の関係強化および連邦制を提案したが、アメリカとの関係悪化を懸念する日本政府に断られた
1894年
サンフォード・ドールを大統領としたハワイ共和国が建国される
1895年
リリウオカラニ女王廃位
1898年
アメリカ合衆国はハワイ共和国を併合し、米自治領ハワイ準州となる
1924年
排日移民法の施行により日本からの移民は不可能になった。これまでに移民した日本人の数は約21万人にのぼった
1941年
大日本帝国海軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカと日本との間で開戦
1959年
アメリカ50番目の州に昇格
ハワイ島(ハワイ諸島)と人々の関係を1,500年前から現在までを見てみると、時代ごとに色々な人種が来島して、政権争いがあって時のトップが入れ替わり立ち代わりしているのが分かります。なので、ハワイ州はアメリカでも一番色々な人種が住んでいる場所と言われている人種のるつぼの場所なのです。
そして日本としては、注目は1881年の出来事。もしハワイのお姫様と日本の皇室が結ばれて、連合国みたいなのができていたらと想像すると、今とはまた全然違った文化が誕生していたかもしれませんね。それもまた興味深いです。
それからもうひとつ。今では観光業が一番の産業となっていますが、20世紀は砂糖とパイナップル農園がハワイの経済を牽引していました。そして各国から来た移民がプランテーションで働いていましたが、その生活はとても過酷だったそうです。その暮らしに耐えられずに逃げ出す人も多かったのだとか。上述した中に、サトウキビ労働者の70%が日本人移民で占められた、とあるのですが、日本人は勤勉で忍耐強かったからなんだそう。プランテーションでの仕事が衰退した後も、会社を興したりして尽力されたそうです。今でも日本の苗字がついたお店を多く見かけますし、日本語の看板やメニューを出しているお店も多く見かけました。
さぞやご苦労が多かったと思われるのですが、滞在の最終日に知り合った、ハワイ島に住んでいる日本人の方に当時の様子について聞いてみました。「私もかなり過酷な暮らしをしていたんだろうなと思って、かつての写真を見せて頂いたことがあるのですが、予想外に彼らの表情は穏やかで微笑んでいたんですよ。それを見て何だかほっとしました。この温暖な気候がそうさせるのかもしれませんね。」とおっしゃっていた言葉がとても印象的でした。ハワイと日本の関係が今も近いものに感じることができるのも、こうした先人たちのおかげが深く関わっているように思います。
今日の写真は、カメハメハ大王の像と、その後ろの区民センターみたいな所でハワイの歌を歌うシルバー会のみなさん。人種も様々で暖かい雰囲気に包まれていましたよ。
※今日のメイン画像はwww.tourmaui.comより
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