私はグラフィック&デジタルデザイナーですが、大学の専攻は英米文学科でした。ちなみに卒業論文の本に選んだのは、F.スコット・フィツジェラルドの「華麗なるギャツビー」です。
美大出身じゃないのにデザイナーになれるんですか?と聞かれることがあるのですが、なれます。やる気があればなれます。デザイン修行中には美大出身だったら…と何度も思いましたが、月日を経た今になってみれば、全ては必要なことが起きていて、なるようになっているんだな、と思えるようになりました。
というのも、文学を読み解く力がデザイナーとしての大切なスキルを養ってくれたと思うからです。文学部では、本を読み、作家について調べ、時代考証をし、心理学や哲学、社会学にも触れ、自分なりの解釈を綴る、という一連の作業を通して、色々な角度から考える方法を学ぶことができました。
妄想が得意という元々の素質もあるのかもしれませんが、その作家になって考えてみたり、登場人物になって考えてみたり、そして客観的に「私」はどう思うのか、を想像してみたりして、物語を自分なりに読み解くことが好きなのです。正解はこれ!というような、ひとつの答えに縛られない自由さが文学のとても楽しいところだと思います。
そして、この客観的に見る視点はデザイナーとしても必要なスキルでもあります。3つの視点を持ってデザインすることは、デザイナーにとって、とても重要なスキルだと思います。具体的には、クライアント、クライアントのお客さん(誰に向けたメッセージなのか、そのメッセージの受け手となる人たち)、そしてデザイナー、この3つの視点をバランスよく持ってベストなデザインをしていくのです。
デザイナーって冷めているよね、とかちょっと格好つけて斜に構えているよね、などと思う人もいるかもしれませんが、大きな割合でシャイで話し下手、そして一歩引いて客観的に見る癖がついているせいもあるので、そう見えるのかもしれませんね。(大体いい人ばかりです!)
…失礼しました、話がそれました。えーと、私のブログのテーマのひとつに「視点」があるのですが、今日は絵本を通してそのことを書いていきたいと思います。
今日のタイトルの「おおきな木」という絵本に出会ったのは、小学生の頃。1964年にアメリカで出版され、1976年に日本で出版されました。30カ国以上で翻訳されていて、今なお売れ続けているロングセラーの名作です。数年前には村上春樹さんが翻訳をしたことでも再び脚光を浴びましたよね。
理由はよく分からないのですが、子供の頃にとても印象深く心に残ったようで、今も数年に一度、ふと思い出すような大切な絵本なのです。作者のシェル・シルヴァスタインさんが亡くなって19年経ちますが、未だ売れ続けているということは、私と同じような体験をして心に深く印象づけられている人が世界中にいるということですよね。国境を超えて心に残るようなメッセージが何なのか、改めて考えてみようと思います。
知っている方も多いと思いますが、ひとりの男性とりんごの木が共に年を重ねていく様子を描いた絵本です。
男性が少年だった頃、彼と木はとっても仲良しでよく一緒に遊んでいました。少年が成長し思春期を迎えると、次第に木と過ごす時間が少なくなっていきます。大人になった少年は久しぶりに木に会い来たのですが、楽しく時を共にするのではなく、木にお願いをしにきます。木は喜んで彼の願いを聞き入れます。それからまたしばらく会わない時があり、また再会したのですが、その時にも彼はお願いをして木は助けてあげました。
何度もお願いをしに来るだけの彼に対して、いつも優しく要望に応えていた木ですが、さすがに元気がなくなってしまいます。それもそのはず、彼にあげられるものはもう切り株しか残っていなかったのですから。
そんなある日、ひょっこり彼が木に会いに来ました。今度はお願いをしに来たのではなく、木に会いに来たのです。年を取り、もう欲しいものは何もないと。木はとても嬉しくなりました。かつてのような太い幹もりんごの実も、ふさふさの葉っぱもないけれど、その切り株を精一杯伸ばして彼を座らせてあげました。おわり。
あらすじはこんな感じですが、見る人によって色々な解釈があるようです。
・自然と人間の関係性のメタファー
・男性性と女性性のメタファー
・生まれ、成長し、老いていく人の一生の描写
・無償の愛について
・りんごの木に手を出す = 人間の原罪 というキリスト教的な視点
そう捉える人もいるんだ、なるほどー、とまた新しい発見なのですが、私はというと、子供の頃に出会った本なので年を重ねるごとにまた捉え方も変わっていることに今回気づきました。
<子供の頃>
関係性がうんぬんなど上記のような解釈はしておらず、「人には優しくしましょう」「困っている人がいたら助けましょう」「お友達とは仲良くしましょう」のような、ある種道徳的な本だと思っていました。
あとは、鮮やかな黄緑の表紙、それとは正反対のモノクロの線画のイラストの本文、そして裏表紙のシェル・シルヴァスタインさんの大きな写真(←子供心にこの装丁が謎ではあった。村上春樹さん翻訳版にはなくなっていました)といった、絵本そのものが好きで心に残っていたんだと思います。
<20代の頃>
デザイナー修行中で、装丁やイラストにより興味を持っていた時にまた思い出しました。大人になっていたので、子供の頃よりもう少し深く読み取れるようになったのですが、上記で言うなら男性性と女性性のメタファーなのかな?と、この頃は思いました。りんごの木を母性として見る人もいるようですが、大きく考えるとそうかもしれないですが、もう少し恋愛に近い男女関係だと思います。なぜならば、ハートマークを木に彫っているから。アメリカではハートマークだけれど、日本でいうなら相合傘かな?相合傘を書くのはやっぱりお母さんではなく好きな人。うふふ。
有名なたとえですが、自由に動き回ることができずに待つだけの木は港、冒険に出かけてたまに戻って来る男性は船のようだな、とも思いました。いつまでたっても男性は少年、なんですかね。
<ここ数年>
村上春樹さんが翻訳をした版が発売されたことをきっかけにまた、この本を手に取る時が訪れました。この頃はニューヨーク留学を終え日本に帰ってきていたので、原文を読んでみようと思ったのです。有名な本&村上春樹さんが翻訳したということで、日本の本屋さんでも英語版を買うことができました。(今でもネットで買うことができますよ)
まず驚いたのがそのタイトル。日本語では「おおきな木」ですが、原文は「The Giving Tree」なのです。直訳すると「与える木」です。「与える」という行為を愛情深くて心が広い「大きな心の持ち主」と捉えると、「おおきな木」ですがそこまで考えが及んでいなかったので、日本語だけで読んでいた時は、単純にその木が背が高くてりんごがたくさん実るから「大きい」と思っていました。。まだまだ浅いですね。
「与える」という意味をこめての「大きい」とした翻訳は見事です。それと、漢字かなカナ問題にこだわりがある私は、「大きな木」ではなく、「おおきな木」とした所にも注目。素晴らしいセンスだと思いました。
原文を知ると、その翻訳方法も気になってしまい、子供の頃、20代の頃とはまた違った角度が見えてきました。
意図せず長くなってしまったので、この続きはまた次回。”And tree was happy…. but not really” をどう読むか、に焦点を当てたいと思います。
こちらが作者のシェル・シルヴァスタインさん。この写真が絵本の裏表紙に大きく配置されていたので、よく覚えています。
村上春樹さん訳の「おおきな木」
英語版も日本のアマゾンで買うことができます
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