「日本で初めてジーンズを履いた男」「日本一カッコいい男」「従順さらざる唯一の日本人」「オイリー・ボーイ」「プリンシプルの男」などと形容される、没後30年経っても今なお雑誌の表紙を飾ってしまうダンディズムを体現した男、そう、白洲次郎。そして彼の妻、正子が住んだ家「武相荘」(東京都町田市)に行ってきましたよ。
1943年に夫妻が移り住んだ「武相荘」は、武蔵と相模の境にあるこの地に因んでまた、次郎独特の一捻りしたいという気持ちから無愛想をかけて名付けたそう。
鶴川駅を降りて15分くらい歩くと、緑に覆われた小山が見えてきます。広い散策路を抜けた先に見えてきた「武相荘」。門をくぐって受付の建物の右手には、次郎さん愛用の農機具が納屋に置かれ、納屋を改築したような半屋外のエリアはカフェになっていて、愛車やバーなどイギリスの雰囲気が不思議とマッチしていました。また、リニューアルしたというカフェ&レストランも和洋折衷な雰囲気でした。
そして母屋ですが、蚕農家を購入して改装したという萱葺き屋根の建物はとても落ち着く佇まいでした。日本の農家の骨組みに、次郎さんのイギリス風のインテリアや家具、正子さんの着物や焼き物の和の文化がとても良い具合に融合されていて、ユニークでセンスがよい空間が広がっていました。なるべく当時のままに残しているそうで、今も人が住んでいるような生きている暖かさみたいなものも感じました。
若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学んだ次郎さんは英国流の紳士道を徹底的にたたきこまれ、生涯を貫いたのは「プリンシプル、つまり原則に忠実である」という信念です。「まことにプリンシプル、プリンシプル、 と毎日うるさいことであった」と正子さんが回想しているよう、原則に忠実で信念を貫く人だったみたいです。そんな次郎さんの奥さんはこの人しかいないだろう、というのが正子さん。伯爵令嬢でアメリカに留学した後に、次郎さんに出会って結婚。若い頃から能に造形が深く、文学や骨董の世界に踏み込み、染織工芸のお店を営んだり、本を執筆したりと、とても文化的な人でした。正子さんの書斎も見学できるのですが、膨大な量の本が書斎にびっしりと並んでいて、日本文化や歴史についての知識がとても多かったことが伺えました。
次郎さんも、正子さんも、西洋と和、派手さと地味さ、上流と庶民のバランスがとても上手な人で、センスの良さとして現れていて、今も人気がある理由なんじゃないかな、と思いました。バランスの取り方と言えば、都心から少し離れたところに家を持ったのにも理由があって、『白州次郎・正子 珠玉の言葉』という本に以下の記述があります。
イギリスじゃ、なんていうのかな、
カンツリー・ジェントルマンというものがいるんだよ正子の著書『遊鬼』の「白洲次郎のこと」には、カンツリー・ジェントルマンについてこんな説明が書かれている。次郎は、「八十歳に達してからもポルシェを乗り廻し、とても市井(しせい)の「隠居」なんて高級なものにはなり切れなかった。鶴川にひっこんだのも、疎開のためとはいえ、実は英国式の教養の致すところで、彼らはそういう種類の人間を「カントリー・ジェントルマン」と呼ぶ。よく「田舎紳士」と訳されているが、そうではなく、地方に住んでいて、中央の政治に目を光らせている。遠くから眺めているために、渦中にある政治家には見えていないことがよくわかる。そして、いざ鎌倉という時は、中央へ出て行って、彼らの姿勢を正す」
少し距離をとって客観的な目を持ち、いざという時には出て行く、というのがまた実用的でもあり洒落ている考えだな、と思いました。それから、生まれ持ってバランス感覚が優れている人っていうのはいるもんだな、とたまに思うのですが、その代表なのが白州夫妻だと思います。
ジェントルマンであり、士(さむらい)でもあった次郎さん。芸術的な才能に恵まれ「やっぱり白洲次郎という男と結婚してよかった」と言う正子さん。そんな、とっても素敵な夫婦の暮らしぶりを垣間見ることができる「武相荘」。是非一度訪れてみてはいかがでしょうか?
お庭の竹林
門
郵便受け
トイレ
レストランのテラス
旧白洲邸 武相荘(ぶあいそう) |
『白州次郎・正子 珠玉の言葉』
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