前回のブログ「笹の葉さらさら」に続く七夕シリーズ。2回目の今回は「五色の短冊」です。
中国古来の行事「乞巧奠(きこうでん)」では五色の糸を飾っていたのですが、日本に伝わってからは、和歌を飾るために短冊に変わりました。そして、短冊に願いごとや「天の川」など七夕にちなんだことばや絵を書いて、笹の葉につるすように転じたのは一般庶民に広まった江戸時代から。ちなみに、七夕は中国、韓国、台湾などでも風習として残っていますが、願い事を短冊に書いて笹の葉につるすことは日本だけ。歌や書き物をするのが好きな文化なんだな、と改めて思いました。
それから五色にも意味があって、中国の陰陽五行説に基づいた色が由来です。陰陽五行説とは、すべてのものは「陰・陽」の相反する2つの側面を持ち、この世の全ての根源である「木・火・土・金・水」の5つの要素を有すとする説です。この5つの要素に当てはめた色が「青・赤・黄・白・黒」で、それぞれにきちんと意味があるんです。
日本にはたくさんの年中行事がありますが、中でも参加する人が多く認知度も高いのが今日の七夕。知っているようで実はよく知らなかったその由来を調べてみましたよ。
・日本古来の行事「棚機(たなばた)」
・中国古来の行事「乞巧奠(きこうでん)」
・織姫と彦星の伝説
この3つが合わさって現在の七夕に繋がっている説が有力なようです。
6月30日のニュースで、『国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第42回世界遺産委員会は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)の世界文化遺産への登録を決めた。江戸時代のキリスト教弾圧のなかで信仰を続けた希少な宗教文化が評価された』、との報道があったのですがとても驚きました。というのも、前日の29日のブログ『映画「沈黙 -サイレンス-」』を書いた直後だったからです!
潜伏キリシタン関連遺産は、17~19世紀の約250年に及ぶキリスト教禁教下、既存の宗教や社会と共生しながらひそかに信仰を続けた潜伏キリシタンの文化的伝統を示す資産群。当時の景観をとどめる長崎県本土、五島列島、天草諸島などの集落や、開国後に潜伏キリシタンがフランス人神父に信仰を告白した「大浦天主堂」(長崎市)など12の資産で構成されている。(読売オンラインより)
今日はこのニュースを受けて、日本の世界遺産についてです!
「日本で初めてジーンズを履いた男」「日本一カッコいい男」「従順さらざる唯一の日本人」「オイリー・ボーイ」「プリンシプルの男」などと形容される、没後30年経っても今なお雑誌の表紙を飾ってしまうダンディズムを体現した男、そう、白洲次郎。そして彼の妻、正子が住んだ家「武相荘」(東京都町田市)に行ってきましたよ。
1943年に夫妻が移り住んだ「武相荘」は、武蔵と相模の境にあるこの地に因んでまた、次郎独特の一捻りしたいという気持ちから無愛想をかけて名付けたそう。
鶴川駅を降りて15分くらい歩くと、緑に覆われた小山が見えてきます。広い散策路を抜けた先に見えてきた「武相荘」。門をくぐって受付の建物の右手には、次郎さん愛用の農機具が納屋に置かれ、納屋を改築したような半屋外のエリアはカフェになっていて、愛車やバーなどイギリスの雰囲気が不思議とマッチしていました。また、リニューアルしたというカフェ&レストランも和洋折衷な雰囲気でした。
そして母屋ですが、蚕農家を購入して改装したという萱葺き屋根の建物はとても落ち着く佇まいでした。日本の農家の骨組みに、次郎さんのイギリス風のインテリアや家具、正子さんの着物や焼き物の和の文化がとても良い具合に融合されていて、ユニークでセンスがよい空間が広がっていました。なるべく当時のままに残しているそうで、今も人が住んでいるような生きている暖かさみたいなものも感じました。
今日は6月30日。早いもので2018年は半年が過ぎました。明日からは残りの半年が始まりますね。
そんな区切りの日に行われるのが、「夏越の祓(なごしのはらえ)」という行事。神社の境内につくられた茅の輪をくぐって罪や穢れを落とすため、別名「茅の輪くぐり」と呼ばれています。茅の輪とは、茅(ちがや)という草で編んだ輪のことで。そして、夏越の祓は今年前半の穢れを祓って無事に過ごせたことに感謝し、後半も元気に過ごせるよう祈る行事です。6月末に行われるものが「夏越の祓」(夏越大祓)で、12月末に行うものを「年越の祓」(年越大祓)といいます。
茅の輪くぐりには作法があります。
1.まずはくぐる前に一礼をして、「水無月の 夏越しの祓する人は 千歳の命 のぶというなり」と唱えながら左まわりにくぐり、茅の輪の前に戻ります。
2.2回目も一礼をし、同様に唱えながら右まわりにくぐって茅の輪の前に戻ります。
3.3回目も一礼をし、同様に唱えながら左まわりにくぐって茅の輪の前に戻ります。
4.最後にあらためて一礼をして茅の輪をくぐり、神前に進んでお参りします。
前回の「夢二の夢はどんな夢?」の続きです。
7/1まで東京ステーションギャラリーで開催されている『千代田区×東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」』に関連し、竹久夢二の詩やエッセイをまとめた本「竹久夢二詩画集」の中から、印象的だった内容を紹介しています。
前回は詩についてでしたが、今日はエッセイの中から「浴衣は無造作に着るべきもの」を取り上げます。
夢二の画には多くの女性が登場しますが、ほとんどが着物や浴衣を着ています。有機的な線に表現されるように、着物のしなやかさと、そこから想像される女性の曲線美がとても印象的で見とれてしまうのですが、夢二には着こなしについてのこだわりがあったようです。
毎年どこかで展示会が開催されている大人気画家、竹久夢二。今、東京ステーションギャラリーで開催されている『千代田区×東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」』に行ってきましたよ。
東京駅で逢いましょう展覧会は4章構成になっています。第1章では、夢二の若き日々を検証します。第2章では、出版や印刷・版画などを中心にした夢二の仕事を、第3章では、その中でも音楽や楽譜にまつわる仕事を取り上げ、第4章では、夢二の自伝小説『出帆』原画と、没後の龍星閣による出版活動などを紹介します。
(東京ステーションギャラリーのウェブサイトより)
今回の展示のタイトル「夢二繚乱」の通り、館内は夢二が描いた大正ロマンの絵が咲き乱れていました。線が細く、しなやかで色鮮やかな世界はまるで夢のよう。西洋の文化が入り始め、和と洋が混じり合い、恋愛が謳歌され、大衆文化が花開いた大正時代。たった15年という短さに儚いイメージも重なって、何ともうっとりしてしまう、まどろみのような時代ですよね。
時代の雰囲気に見事にマッチしていた夢二ですが、今日は画家としてより詩人としての夢二に注目してみたいと思います。