映画「沈黙 -サイレンス-」

前回のブログで、ロスト・イン・トランスレーション(異文化をまるごと正しく移し替えるのは無理で、かならずなにかが失われてしまう)について書いたのですが、今日は映画「沈黙 -サイレンス-」を見たときに思った異文化への理解と信仰についてです。

原作は遠藤周作、監督はマーティン・スコセッシ。世界20カ国以上で翻訳され、スコセッシ監督が初めて原作を読んでから28年の時を経て、ようやく映画化されたという大作です。2時間40分なので観る方にも体力が必要ですが、相応の見応えがあると思います。

私は原作は読んでおらず、キリスト教についても詳しくはないので、原作を読んだりキリスト教についてもっと勉強をしたらまた感想が変わると思うのですが、色々な知識や情報がない状態で素直に映画を観て思ったことを書いていきます。

(結末までのあらすじ)
ポルトガルからはるばる日本へ布教にやってきた宣教師ロドリゴとガルペ。そこで彼らが目にした光景は、想像を絶する弾圧に殉教する信者。そして、一緒に日本にきたガルペも殉教してしまう中、幕府に捕らえられたロドリゴに告げられたのは、すでに棄教を誓っている信者たちは、ロドリゴが棄教しない限り許されないこと。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴ。

そして、踏絵を踏むということは信者にとっては死を超えるほどの行為だということを想像すると、最終的には踏絵に応じたロドリゴの苦悩は計り知れないものがあります。しかし、「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」とのイエスの言葉で、踏絵を踏むことにより神の教えを理解する境地に至ったロドリゴ。

その後は仏教徒として日本に暮らし、仏教徒として火葬されたロドリゴですが、彼の手には殉教した信者から受け継いだ十字架があったのでした…。

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こんな感じで、ロドリゴ目線で物語は展開していき、観終わった後にも色々と考えさせられるような映画となっております。

そして、私が観終わった直後に思ったのは、ロドリゴたち宣教師と長崎の信者たちの信仰が同じものだったのか?ということ。キリスト教を信仰している、という体裁としての共通項はあるものの、その実態はとても個人的なもので、本当の意味で「神」への信仰を共通のものとして、共有し合えていたのかな?と疑問に思いました。

言葉ではなかなか理解し得ない対象を共有することの難しさを感じたし、もしそれが違っていたら…と思うとちょっと怖いな、とも思います。要は解釈の違いによる認識のずれというか。でも、そもそも自分の心の動きや考えも日々変化する中で(手に負えない時もあるし)、自分以外の人のそれを「同じ」として接することは、難しいことと思うのです。

「違う」を前提として、少しでも分かち合えるような感覚があったときにはとても嬉しいし(そうそう!みたいなアレ)、その努力がコミュニケーションの楽しさなんじゃないかな、と思います。「違う」もまた新しい発見でもあるし。

映画のラストでも、仏教徒として火葬されたロドリゴの手に十字架があったというのも、信仰はとても個人的なもので、外から決められるものでもないし、そもそも外がコントロールできるものでもなく、1人1宇宙の中で己が信じるもの全てのことなんじゃないかな、と。そして、そのことを遠藤周作さんも言いたかったんじゃないかな?と私は解釈しましたが、いかがでしょうか?

また、原作を読んでみて、それから以前からずっと行きたいと思っている五島列島の教会を訪れた時に、自分がどう解釈するのかな?と考えるのもちょっと楽しみです。

あと、この映画は私が好きな俳優さんが出演しているのと、映像が美しいのでもし観ていない方がいたらオススメです!

アンドリュー・ガーフィールド
『BOY A』、『アイム・ヒア』、『わたしを離さないで』

アダム・ドライヴァー
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌 Inside Llewyn Davis』、『パターソン』

二人とも今や大人気の俳優さんですが、初期や規模の小さい映画もとっても素晴らしいです。

それから、日本の俳優さんもとても素晴らしかったのですが、私が特にこの映画ですごいな!と思ったのは、窪塚洋介(キチジロー)、イッセー尾形(井上筑後守)、塚本晋也(モキチ)、笈田ヨシ(イチゾウ)です。キチジローの踏絵マスターっぷり、井上筑後守の意地悪で憎たらしい感じ、モキチの信念を貫く真っ直ぐさ、イチゾウの何とも言えない長老の存在感は本当に見事でした。

映画のテーマが信仰ということもあるかと思いますが、スコセッシ監督の撮影中についての「日本人の役者はエキストラ全て含めて、映画に対する、演技に対する姿勢が修行僧のようで、それはそれは美しかった。嫉妬するほどのものだった」(映像でみたので正確な言葉ではないですが、こんな感じでした)という言葉がとても印象的でした。

私の思ったことはこんな感じですが、本当に色々な角度から色々な解釈ができる映画だと思います。そして、解釈の幅が広ければ広いほど作品としての深みや重みがあると思うので、そういう作品にたくさん触れ合っていきたいな、と思いました。

映画「沈黙 -サイレンス-」公式ウェブサイト

映画「沈黙 -サイレンス-」

文庫本「沈黙」

映画「沈黙 -サイレンス-」予告編

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Written by youseeaandiseeb
東京在住のグラフィック&デジタルデザイナー。 ものづくり、文化芸術、旅、そしてたまに宇宙についてのブログです。 私の視点を通して、この豊かな世界を紹介していきたいと思います。英語でも書いてます。